先生というお仕事について
高校の頃の僕には夢があったんだ。
それがね教師になることなんだけどね。
まあいいから聞いてくれよ。ある人に出逢ったのがきっかけなんだ。
振り返れば6年も前の話。僕がまだ15歳の時。中学三年生だね。
ある人に出逢ったんだ。僕の中学の教頭先生。
英語が堪能で優しく、先生というより一人の大人として尊敬できる人だったな。
そんな先生がある日僕に言ったんだ。
「けんけん、英語できないんだってな。」
そうなんだよ。僕、英語できなかったんだよ。
いや今も英語はできないんだよ。でもあの頃は文字通り英語ができなかったんだ。
丁度高校受験の時だったから毎月のテストで点数がちゃんとばれるわけ。堪らないよね。
どの教科と比べてもできが悪いのは明らかでさ。
それを見かねてお声をかけてくれたのが先生だったわけ。
毎日英語の課題をだしてくれて、放課後には多忙のなかたくさんの時間を割いてくれたんだ。
それが半年位続いたのかな。
結局僕は志望校に行けて(面接だけで受かったんで実際の筆記試験はやってないんですがね。)、感無量。本当に嬉しかったね。
そして受験が終わったあと先生が一枚の写真を僕にプレゼントしてくれたんだ。
それは今でも僕の宝物なんだけどオペラハウスの写真。そして裏にメッセージがあってね「世界が君を待っている。」
多分この日々は一生忘れないと思う。僕に英語の基礎を教えてくれて世界がどれだけ広いのかを教えてくれて僕に夢をくれた。
感謝してもしきれないよね。
その経験があったから僕は教師になりたかったんだ。あの先生のようになりたかった。そして間違いなく今自分がカナダにいるのも先生のお陰だと思ってる。
実際に出発前に手紙を書いたんだけどやっぱり良い人だったね。
良い思い出だよ。
そんな話をカナダ人と韓国人としたわけです。
と言いますのも、昨日トロント大学に language exchange に行って来ました。
世界でも屈指の大学ですから世界から人が集まるわけです。学びは多いなと。
そこで将来の話をしました。特に先生っていう職業はどうあるべきなのかってことを。
僕が教師を目指さなくなった理由はたった1つです。シンプルに環境が悪すぎる。
自明ですよね。さすがに給料低いでしょう。あんなに激務なのに。
隣で話を聞いてたカナダ人も大学院生ではあるんだけど学部生に授業をしている、ばりばりの先生なわけ。もちろん給料ももらってるってそれなりに。
そこで言ってたのは教師という職業はお金をもらわなきゃいけないだろってこと。
彼が言ってたのは子供にとって一番大切なことは教育だということ。そして最も長い時間を共有するのが教師だろうって。その教師がより良い人材であるためにはやはりお金をかける必要があるんだと。
確かに。全くの同感。
フィンランドだと一番給料の良い仕事は教師らしいですからね。
まあだからと言って日本の教育水準が低いとは正直感じませんが。
こちらの大学に通ってるわけではないので何とも言えないのも事実。
教員の質が上がれば誰もが英語を話せるようになるだとか、海外の大学に行きやすくなるだとか、そういう短絡的なことではなく。必要なところに必要なモノを分配していくことが大切だと思うわけです。
自分が教員になることは多分ないけど教員という仕事がもっと大切にされる国であってほしいなと思う今日この頃。
さすがに授業やって終わったらまたつぎの授業の準備して部活もやって休日すらない。人間はロボットじゃないっての。それで安月給じゃあね。もうどうしたら良いのか。
人が足りないなら外の世界をみてみないと。海外にはこんなに優秀な人材が溢れてるのに。
もちろん教育現場の問題は金だけじゃないけどね。
教える立場の人間が反面教師じゃ誰も育たないぞって話。
久しぶりに日本のニュースを見て思ったことでした。
もしかすると過ぎ去った夢に対する理由付けでしかないのかもしれませんが。
二か月が経過したトロントでの生活。
寒さに負けず頑張ります。
それではまた。
雪が降る前にブーツ買わなきゃ。