日本語環境を打破することと英語できるようになることは必ずしも一緒じゃないよなって思う
今年、成人を迎えた皆様おめでとうございます。
自分も現在20歳なので特にかける言葉も見つかりませんが。
強いて言うなら一緒に頑張りましょう。
思うところはありますが自分語りを始めてしまいそうなので本題に入ろうかな。
いやね、そりゃ自分も成人式を経験したわけですから思い出語りぐらいできますよ。でもさ、今日の主役は成人式を迎えた人たちなんだからね。「俺の時は、、、」とかそんなん聞きたくないよって。
今日はおめでとうで終わりにします。
また違う機会に語らせてください。
一応思い出の写真だけ。僕の地元の成人式です。
さて、題名で内容はほとんど伝わっているかと思いますが今日はそういうことです。
「日本語環境を打破することと英語できるようになることは必ずしも一緒じゃないよなって思う」
ツイッターで少し話題になっていたので。
五か月が経過しようとしていますが、今のところの自分はこの立場を取ります。もちろん色んな意見があるとは思います。
留学エージェントが日本人の少ない学校選んでくれたりとか。田舎に行ってみたりとかね。それはそれでいいと思う。
じゃあなんでそう思うのかっていう理由はただ一つ。
心の余裕が生まれる。これが大きい。
もっとも、自分みたいに英語がそこまで話せない人には共感してもらえると思う。
どんなに英語環境にのめり込めたからと言って自分がつぶれちゃったらそこで終わりですからね。
まあそれを逃げって思われるのであればそれで結構。実際にそうだし。
僕も思ってましたよ。最初の一か月までは。日本人の友達なんて作っても意味無いし関わるのやめようって。
でもやっぱりいきなり海外に飛び込んで一から全て自分でこなすのはやっぱり難しいと思う。
月末に一回ぐらい、単語とか文法とか言い回しとかそんなこと一切気にせず愚痴吐かなきゃやってらんないよ。自分らだって人間なんだから。
そんなことを日本人のいない職場で一か月働いて思いました。頑張ることは大事だけど、頑張るための準備をすることはもっと大事だろって思う訳です。
案外、自分は強くないみたい。
そういう時にぽろっと本音がはけたり、同じ悩みを持っていたりするわけなので良い時間なんだろうなとは思ってます。
偉そうに語ってますがあんまり日本人の友達っていないんですけどね。
それではまた。