人生について考えていたらいつの間にかあいみょんは尊いってことになった件
以前にも書いたんですがこの年になって現実と向き合うようになりました。良いか悪いかは全くの別問題として。
もっと具体的に述べると、残りの人生について考えるようになりました。
就職して結婚して、家庭ができるのかもしれない。まあ不透明なんですよ。ただここでいったん立ち止まって時間をかけて考えてみようと。
何者でもない僕たち
就活セミナーでよく言うじゃないですか。君たちはまだ若い、なんにでもなれるって。
いやいや待てよと。そんな暴論をこんなに大勢の前で意気揚々と言っていいのかと。
でも本心は嬉しいんですよね、そんなこと言われると。安心するんですよ。だって人生不安じゃないですか。将来どうなるかわからないし。就職って人生の中で結構大きいファクターだし。完全に術中にはまってしまっている。これは喝ですね。
まあこれは体験談として聞いていただけるとありがたいんですが。最近海外の人と関わることが増えてきまして。当然のことながらまず自己紹介するんですけど結構困ることがあるんです。
あなたは将来何になりたいの?
これなんですよ!いっつもこれ!
聞かれるとすごい困る。けど、海外の人って初対面で絶対これ聞くんですよ。恐ろしいったらありゃしない。答えに窮するってところまでがパッケージなんですが汗。
一方、彼らはというと雄気堂々とバカでかい夢を語るんですよ。スケールが違うというか。そこで自分の小ささを痛感するわけです。
いづれにせよ、より良い企業とか集団に属したいって思うのが性ってもんでしょう。
ただそれを自分の夢として胸張って言うのもなんだかなあって感じだし、かと言ってプロ野球選手になりたいなんて言ったら興ざめですもんね。そこは大人の対応をってことで。
言葉にせずともぶれない軸は確立した上で生きていきたいものです。
自戒の念を込めて
自分の価値観
個人的なことを言わせてもらえるのならば、僕の人生の価値は金儲けに集約します。
あとは親孝行。いや、嘘じゃないですからね、そこのあなた。
僕は性質が田舎の百姓なので日常をビビりながら生きています。一昔前なら天候に命が左右されかねないわけですから。
そういった意味で現物としての財は強いなと。管理さえ怠らなければですがね。安心感がある。
あと多分モテるし。
そんな冗談はさておき、金儲けに主軸を置いて生きていきたいってのは本音です。
思うに、金持ちであることの一番のメリットはチャンスに恵まれることだと思うんです。それって魅力的でしょ。男のロマンがある気がする。
結果的にそれって心の豊かさなんじゃないのって話。
ら、のはなし
今できることを
妄想は膨らむ一方ですが現実を見ましょう。
今の自分はどのレベルに達しているのか。はたまた達していないのか。
現実を見ると無いものばかりで正直しんどい。でもそれを回避し続けたらどっかでダメになる。逃げることで得る幸せなんておととい来やがれってことです。
じゃあ、そんな自分が今できることは何なのか。金儲けのためにできることは。現状の答えを出したいと思います。
「ある程度の尺度のなかで最大限に可能性を広げること」
どうしてこうも大雑把で使い古された答えなのか。でもこれに尽きませんか。もちろん異論は認めます。
だって今から医者になるのは無理じゃないですか。僕も思いましたよ。ああ、もっと勉強して医学部行ってたら人生変わったのかなあって。
不毛ですよね。ら、のはなし。
気持ちは分かるが戻れない過去について考えるのは辞めようと。無駄なので。発想を変えます。悪あがきの方向に。
医者になるっていうベクトルが消滅している今、違う方向付けがすでになせれている。だから迷いも少なくなるでしょうと。見えすぎていたものが消えると自ずと違うものが見えてくる。なりたかったものじゃなくてもよりベターな道があるんですよ。それが意外と幸せだったりするわけで。
あとはそこにある可能性をこれ以上潰すことなく、自分の最大限を作り出すこと。実用的な武器を身に着けること。
それが僕の場合は英語だなと思ったんです。それが一番汎用性のあるものだと感じたから。
まあこのブログは結局そこに帰結するんです。ただこれも結局は希望的観測に過ぎませんし、なんの役にも立たない可能性だってある。あとは神のみぞ知るって感じかなぁ。
少なくともこのまま就職するよりは金持ちになれる可能性があると思っています。
別に不安を煽るつもりは一切ありませんので。一年の休学がどこまで影響するのか僕は分かりませんし。自分がさぼってきたツケを一発逆転狙っているだけなので。自己責任ですね。
自分はカナダのトロントで1年間、悪あがきをしてきたいなと思います。
恋愛も人生も余裕をもって生きていける人ってこの世にいるんですかね。
周りの友達が続々と海外に行くそうで、自分もうかうかしていられないなと思う今日この頃。海外に全てがあるわけじゃないけどそこにあるものに触れるってのは意味がありそうですね。
それではまた。